熊本市中央区帯山西校区ポータルサイト
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歴史・文化
History・Culture

1.校区の歴史

帯山西校区は豊肥線東側から東バイパスに至る保田窪、新大江、帯山、水前寺地区に広がっています。その一角は1924年(大正13年)に一時期帯山練兵場になりましたが、戦後は住宅地として開発が進み、県庁の東部移転や東バイパス・国体道路など幹線道路が整備され、人が集まる人気の地区として発展してきました。
私たちの帯山西校区の歴史を見ていきましょう。

【古代】 校区一帯は過去に縄文式土器、弥生式土器、祝部式土器、須恵器などが出土したことから、古代から人々の営みがあったと考えられてい ます。 託麻郡は奈良時代、都に紫草(むらさき)を貢進した産地として知られていました。万葉集に「託馬野に生ふる紫草衣に染めいまだ着ずして色に出にけり」の歌があり、帯山西小学校校歌「託麻野に」の歌詞のモチーフとなっています。その紫草は校花にも指定され、校内に歌碑があります。地域でも新設された公園を「帯西むらさき公園」と命名するなど、紫草のゆかりを大切にしたまちづくりが行われています。
【中世】 託麻台地から一段下がったところにある託麻原は、何度か合戦の舞台となりました。 1378年(天授4年9月29日)、南朝方の菊池武朝は、後征西将軍良成親王に奉じて北朝方の今川了俊の大軍を打ち破りました。この「託麻原の戦い」は南朝最後の勝利であったとされています。この歴史を伝える「天授勤王戦跡碑」が水前寺運動公園内にあり、校歌2番の歌詞の題材となっています。 1580年(天正8年)には御船城主甲斐宗運が、阿蘇大宮司の名代として薩摩の島津氏についた隈本城主城親賢と託麻原で激しく戦いました。 1601年(慶長6年)に架けられた長六橋から南阿蘇へ通じる南郷往還は、人や物資が行き交う主要道で保田窪を通りました。 1634年(寛永11年)、保田窪に武士の身分で農業に従事し、事あるときは戦場に出る「地筒」の集落が設置され、保田窪村ができました。
【近代】  西南戦争中の1877年(明治10年)4月20日には熊本城の包囲を解いた薩摩軍が分散していた兵を熊本城東に集結させ、政府軍と再び戦 闘を繰り広げました。このとき保田窪など各地が戦場となりました。この時期の現帯山西校区一帯は、託麻台地に広がる「国府村」「保田窪村」 の一部でした。 1889年(明治22年)に校区南側の国府村は出水村、北側の保田窪村は広畑村となりました。その後出水村は1925年(大正14年)に、広畑村は一時期託麻村の一部となりましたが、1970年(昭和54年)に、それぞれ熊本市に編入されました。 1914年(大正3年)4月、宮地軽便線(現在の豊肥本線)が開通。校区の西側を走りました。 1924年(大正13年)11月、陸軍帯山練兵場がこの地に設けられると、台地全体を帯山と呼ぶようになりました。なお、帯山という地名について熊本県大百科事典(熊日・昭和57年刊)には、「帯山は保田窪集落の東側に帯のように延びている一連の台地一帯をいう。帯山という字名はないが、この通称に基づいて名付けられた。」とあります。 第二次世界大戦末期に爆撃機を製造するため三菱重工航空機製作所が建設され、その工員住宅の一つとして「前菱園(帯山西3町内一帯)」が整備されたのが、帯山西校区の住宅開発の先駆けです。その後1953年(昭和28年)の6・26水害が契機となり、東部にある帯山台地の住宅開発が進みました。人口増に比例し児童も増えたので、1957年(昭和32年)に帯山小学校、翌1958年(昭和33年)に帯山中学校が開校しました。帯山西小学校ができたのは1979年(昭和54年)です。熊本市営バスの車庫跡地に建設されました。昭和40年代の後半に開通した東バイパスは、熊本市の大動脈としてこの地域の発展を加速させる役目を果たしています。現在では多くの企業や商業施設が立地し、新しいマンションが次々に建設され、街の様相は日進月歩で変化しています。

2.藻器堀川

藻器堀川は託麻三山の一つ小山山を源とし、校区内を流れて水前寺、江津湖、加勢川を経て緑川と合流、有明海に至る一級河川です。たびたび氾濫していた川ですが、白川につながる保田窪放水路ができてからは水害リスクが軽減されました。桜の花が散る頃は川面がピンクに染まります。

藻器堀川

3.引込線

戦時中に水前寺駅から健軍の三菱航空機製作所まで物資や人を運ぶため、2.6㎞の専用鉄道が整備されていました。現在、線路跡地は生活道路になっていますが、今でも引込線と呼ばれています。朝の時間帯は通勤・通学の車や自転車で溢れます。

引込線

4.帯山西校区カルタ

「校区の魅力や自慢を発掘し、自分たちが住む町への理解を深め、それらを子どもたちに伝えていきたい」、また「校区のことをもっと知るきっかけが欲しい」という地域の声にこたえるため、自治協議会が中心となって平成27年に校区の魅力や自慢を織り込んだ「帯西カルタ」を制作しました。 

解説文

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絵札

絵札

読み札

読み札